地域とともに

坂宮馬頭観音堂

坂宮馬頭観音(さかみやばとうかんのん)は、天正6年(1578)大友宗麟は日向に侵攻し、土持氏の居城であった松尾城を攻めた。土持高信は最後の戦いを決意して、残り少ない手勢をまとめて、愛馬「しろかげ」にまたがり城を出て戦ったが敗れ、鹿狩瀬(かがせ)町を祝子川を下り、坂宮に達したとき愛馬「しろかげ」は敵の矢に当たり倒れた。このとき高信は介護の暇も無いので、敵の手に落ちないように言い聞かせたところ、「しろかげ」はその意を解し、藪の中に入りついには息絶えた。後人々はこの地に馬霊を慰めるために観音堂を建立した。牛馬の飼育が盛んであった頃、多くの参拝人で賑わった。(延岡がいーどマップより)

(馬頭観音とは)

六観音・八大明王の一。人身馬頭、または宝冠に馬頭をいただき、憤怒の相をした観世音菩薩。江戸時代、馬の守護神として民間に広く信仰された。馬頭大士。馬頭明王。(goo辞書より)

更にくわしい情報は(県北の史跡より) http://nanjaroka.yon.to/siseki/batou/index.html

小園井堰

門川町は東方に日向灘を望み、西方に自然豊かな山間部があります。 この山ろくから多くの湧水が小さな水のながれをつくり、やがて県内でも数少ない清流のひとつである五十鈴川となってゆっくりと流れながら門川湾にそそいでいます。
この五十鈴川の途中に、門川町随一の規模を誇る農業用かんがい井堰の小園井堰(いせき)があります。
また五十鈴川の清流には、鮎や鯉などの魚も多く生息し、四季折々の豊な川の恵みを感じさせてくれます。(門川町ホームページより)


この井堰は、穀倉地帯の水源として地域の発展に役立て来ましたが、年々災害を受け古くなったため、昭和27年に現在のアーチ式永久井堰が完成しました。現在では、ここから五十鈴川左岸の小園地域や右岸の分蔵地域の用水路を利用して、田んぼに水が引かれています。

場所 門川町大字門川尾末小園
アクセス JR門川駅から車で10分

更にくわしい情報は(県北の史跡より) http://nanjaroka.yon.to/siseki/kozono/index.html

大人歌舞伎

大人歌舞伎は、

400年以上の歴史を誇る「大人歌舞伎」(おおひとかぶき)は、九州に唯一伝承される農村歌舞伎で、この地方一帯を治めていた武将「甲斐宗攝氏」が生前にこよなく愛した芝居で地元住民が供養したことが始まりと云われています。
現在、上演できる外題は、「絵本太功記」「義経千本桜」「一の谷嫩(ふたば)軍記」など。中でも「源平布引の滝」などは、他所で上演されることも少なく貴重です。また、これらに「瞼(まぶた)の母」や「父帰る」といった新しい外題も加わり、注目されてきました。


お百姓が名優に変わる

昔は大人神社の前に小屋掛けをして芝居をしていましたが、今は立派な歌舞伎の館が大人小学校の跡地に建っています。舞台には美しく染め抜かれた引き幕が張られ、見事な舞台が設備されています。引き幕には、文政年間のものや嘉永二年(1849)に作られた「二見ヶ浦」の染め抜き幕もあり、歌舞伎の行われる夜には、それぞれの家には留守番も居ないほど全員が集まってきます。芝居の開演前には、全員が大人神社に向かって拝礼。豊かな実りに感謝する祭りであるとともに、同神社に合祀されている甲斐宗攝の霊を慰めるための奉納芝居でもあります。少女たち3人による「寿三番奴」が古式どおりに演ぜられて、向かって右手の義太夫の声と、重く響く三味線。拍子木が鳴り拍手で幕が開く。顔見知り、親しい人たちが役者になり、勇ましい武将や、美しい姫を演ずるのに「日本一」とか「いいぞう」という励ましの言葉が飛び交い、紙に現金を包んだ「花」が投げられます。見物席では、手料理の重箱が置かれ、酒を酌み交わす。子供たちは菓子や飲み物。祭りと芝居を楽しむ和やかさが溢れる。(民俗探訪故郷365日より抜粋)


毎年10月の大人神社秋祭りに、歌舞伎の館で「一の谷ふた葉軍記 流しの枝2段」などの演目が奉納されます。平成7年3月には県の無形文化財に指定。

詳細情報

宮崎県ホームページ

大人歌舞伎の館 宮崎県西臼杵郡日之影町大字岩井川2822

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宮崎県北部農業共済組合

宮崎県延岡市吉野町1524-2 TEL:0982-41-0200